
ご当地別ウチナーンチュ気質
【那覇】本島南部
生粋の那覇っ子(ナーファンチュ)とは、西町・東町・泉崎周辺(戦後は牧志)の人のことをいう。古来、商業都市として発達したためか、那覇人はよく「ナーハイバイ(勝手気まま)」と称される。 また、のんびりした沖縄人の中では、ここだけが妙に快活で利に長けた大阪商人のような気風さえうかがえる。
ちなみに、同じ那覇でも、地域によって気質は実にさまざまだった。 「首里人はスイズリー(皆がそろってから)、那覇人はナーハイバイ(勝手気ままに)、久米人はクンクルバーシェー(われ勝ちに)、泊人はトゥメーイ・ドゥメーイ(隣近所誘い合って)」、何かの集まりに出かけるそうである。
【コザ】本島中部
現在沖縄市と名を変えたコザ市の最大の特徴は、アメリカである。大きな米軍基地を抱え、戦後真っ先にアメリカ文化の洗礼を受けたのである。
ところが、実は、独自の沖縄文化に一番こだわってきたのもコザの人々なのである。
沖縄民謡など沖縄芸能の中心的担い手の多くがコザを拠点に活動し、沖縄文化の牽引役となってきた。たとえば、喜納昌吉・照屋林賢・ネーネーズなどである。
コザは、「限りなく東京に近づいていく那覇とは対照的に、つねにローカルな匂いがたちこめている」(仲村清司氏)
なんか魅力的ですね。
【糸満】本島南部
糸満人(イトマンチュ)は小さなサバニ(くり船)で北は東北地方から南は東南アジアや南太平洋まで漁に出かけ「世界一の海洋民族」といわれたそうです。
イトマンチュの気質の形成には、彼らの仕事が小さな船上だったことが大きく関わっている。
たとえば、言葉は荒くて声が大きいのは、船上で指示を出し合うために歯切れよく正確でなければならないので、言葉が短く大声になってしまうのである。
反対に、言葉は荒くても、気質は開放的である。 船上での仕事は命にかかわるので、建前を嫌い、普段から腹を割った付き合いをする。だから、いったん気心が知れると義兄弟のような関係になるのである。
【ヤンバル】本島北部
ヤンバル(山原)の人は、農村特有の素朴さと、どこか品のある穏やかな気質を持つ人が多い。
しかし、北部の商業都市として発展してきた名護の人は、すこし違って、那覇の人に強いライバル意識を持っていたそうである。これを「名護マサー(優り者)」といい、度胸のよさ・負けず嫌い・ど根性を指す言葉だそうだ。
また、琉球で初めての学校を設立したのは、名護の人だそうだ。 さらに、ヤンバルは、那覇や首里の士族の移住でできた村も多い。 そのためか、ヤンバルは多くの教員を輩出した地でもある。
《参考》
仲村清司さんの著書『沖縄人解体真書ザ・ウチナーンチュ』
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