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    関西在住。
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ご当地ウチナーンチュ気質


【宮古諸島】

宮古の人の気質で特徴的なものは、「アララガマ精神」です。

「アララガマ精神」とは、「なにくそ、これしきのことで負けてたまるか」と自分を鼓舞したり、「これしきのこともできないのか」と他人を挑発するときの言葉です。
これほどの反骨精神をあらわす言葉は、沖縄には他に見当たらないそうです。

では、なぜこのような反骨精神が根付いたのでしょうか?

それは宮古諸島と八重山諸島にのみ課せられた「人頭税」という悪税による虐げられた歴史がこのような反骨精神を生んだと考えられています。

このためか、宮古の人は、商売など実業界で成功している人が数多くいます。
また、宮古の人たちの結束力の強さは、沖縄随一といわれています。



【石垣島・八重山諸島】

人々の気質は、人情が厚く、あくまで解放的です。

理由は、目の前に広がる広大な空、果てのない緑の大地、エメラルドグリーンの澄みきった海。毎日これらを目の前にしていては、開放的にならざるおえないとも考えられます。

とはいえ、宮古諸島と同じく「人頭税」に苦しんだ石垣島がなぜ宮古島とは違う気質を育んだのか疑問ではあります。

この理由の一つとして考えられるのは、石垣島は開拓の名のもとに沖縄本島や周辺諸島から何度も移民が繰り返され、それぞれに村を開拓していった歴史があります。このため、石垣島全体としては、一つの村としての結束力が生まれなかったと考えられます。
このことが石垣島全体として反骨精神を持ったり、結束したりということが希薄になり、物事にとらわれない開放的な気風を生んだとも考えれれますが、あくまでも推測の域を出ません。

この反面、このような移民を繰り返した歴史から、郷土の歴史や文化にこだわる人を生み、引いては学問領域で傑出した人を多く生み出す結果ともなりました。



因みに、一方では、「八重山ヒジュルー」という「八重山人的な冷たさ」「八重山人的な意地悪さ」という意味の言葉もあります。

この言葉は、八重山諸島や宮古諸島を支配し人頭税などで苦しめた沖縄本島の人たちからの言葉であることが多いそうです。

人頭税で苦しめられながら、沖縄本島人に温かくしなさいと言うほうが無理があります。原爆を落とされて真にアメリカ人に親切にできない日本人と同じようなものでしょう。

また、一説には暑い八重山にまで訪ねてきた遠来の客をもてなすためにわざわざ「冷たい(ヒジュルーな)お茶」を出してもてなしたことが「八重山ヒジュルー」の語源だとする説もあるそうです。



《参考》

仲村清司さんの著書『沖縄人解体真書ザ・ウチナーンチュ』

テーマ:三線 - ジャンル:音楽

ご当地別ウチナーンチュ気質

【那覇】本島南部

生粋の那覇っ子(ナーファンチュ)とは、西町・東町・泉崎周辺(戦後は牧志)の人のことをいう。古来、商業都市として発達したためか、那覇人はよく「ナーハイバイ(勝手気まま)」と称される。
また、のんびりした沖縄人の中では、ここだけが妙に快活で利に長けた大阪商人のような気風さえうかがえる。

ちなみに、同じ那覇でも、地域によって気質は実にさまざまだった。
「首里人はスイズリー(皆がそろってから)、那覇人はナーハイバイ(勝手気ままに)、久米人はクンクルバーシェー(われ勝ちに)、泊人はトゥメーイ・ドゥメーイ(隣近所誘い合って)」、何かの集まりに出かけるそうである。




【コザ】本島中部

現在沖縄市と名を変えたコザ市の最大の特徴は、アメリカである。大きな米軍基地を抱え、戦後真っ先にアメリカ文化の洗礼を受けたのである。

ところが、実は、独自の沖縄文化に一番こだわってきたのもコザの人々なのである。

沖縄民謡など沖縄芸能の中心的担い手の多くがコザを拠点に活動し、沖縄文化の牽引役となってきた。たとえば、喜納昌吉・照屋林賢・ネーネーズなどである。

コザは、「限りなく東京に近づいていく那覇とは対照的に、つねにローカルな匂いがたちこめている」(仲村清司氏)

なんか魅力的ですね。




【糸満】本島南部

糸満人(イトマンチュ)は小さなサバニ(くり船)で北は東北地方から南は東南アジアや南太平洋まで漁に出かけ「世界一の海洋民族」といわれたそうです。

イトマンチュの気質の形成には、彼らの仕事が小さな船上だったことが大きく関わっている。

たとえば、言葉は荒くて声が大きいのは、船上で指示を出し合うために歯切れよく正確でなければならないので、言葉が短く大声になってしまうのである。

反対に、言葉は荒くても、気質は開放的である。
船上での仕事は命にかかわるので、建前を嫌い、普段から腹を割った付き合いをする。だから、いったん気心が知れると義兄弟のような関係になるのである。




【ヤンバル】本島北部

ヤンバル(山原)の人は、農村特有の素朴さと、どこか品のある穏やかな気質を持つ人が多い。

しかし、北部の商業都市として発展してきた名護の人は、すこし違って、那覇の人に強いライバル意識を持っていたそうである。これを「名護マサー(優り者)」といい、度胸のよさ・負けず嫌い・ど根性を指す言葉だそうだ。

また、琉球で初めての学校を設立したのは、名護の人だそうだ。
さらに、ヤンバルは、那覇や首里の士族の移住でできた村も多い。
そのためか、ヤンバルは多くの教員を輩出した地でもある。




《参考》

仲村清司さんの著書『沖縄人解体真書ザ・ウチナーンチュ』

テーマ:三線 - ジャンル:音楽

ウチナーンチュは出世にあまり魅力を感じていないそうだ。「管理職に登用されたとしても迷惑」とか、中には「会社からどうしても幹部になれといわれたら会社を辞めるかもしれない」と言う人もいるほどらしい。



「なぜこうなるのか。実は沖縄社会には出世よりも優先させるべきものがあるのだ。沖縄は三線、琉舞、空手などの趣味を持つ人やスポーツ愛好者が多く、加えて模合(モアイ)や同期会などの集まりも多い。そのため、会社とは別の共同体がいくつも存在し、そのなかの人と人とのネットワークや参加意識がとても強い。事実、ジョギング人口は全国でもトップクラス、草野球チームも600以上あるといわれ、これも全国一の数である。
 沖縄の人たちはアフター5はこうしたヨコのつながりを優先させる。つまり、まず自分があって会社や出世なんてのは二の次という考え方をするのである。だから会社に全人生を没入させたり、出世に目の色を変えるなんてことはけっしてしない。」(仲村清司著『沖縄人解体真書』P.71)



これがどのくらい事実なのかよく分かりませんが、転職率・離職率が全国1位、1万人当たりの役員出世度も3.15人(全国平均15.93人)でこれも全国最下位だそうですから、決して的外れではないのでしょう。
まあ今の時代、これは悪いことではないという気がします。出世はお金にはなりますが、人に優しくないことも多いですからね。

テーマ:三線 - ジャンル:音楽

 ウチナーンチュ(沖縄人)を代表する気質である『チャンプルー精神』とは、「さまざまな文化を取り入れて自らのものにしていく気概」のことであるが、単なる「ごちゃまぜ」とは違う。
 チャンプルー精神は、他からいいものを取り入れ、沖縄の土地に合うように改良し、今までにない独自のさらにいいものを創り上げていく改良精神である。しかもできあがった独自のものも、他にもっといいものが現れればさらに取り入れて、どこまでも改良を繰り返していく。このようにどこまでも新しくいいものを生み出していく精神をチャンプルー精神と言うのである。



 ゴーヤーチャンプルーの例で説明すると、
「ゴーヤーだけだと苦くて食べにくい。ではこの苦味をどうするか?そこで島豆腐や豚肉を取り入れる。これらといっしょに炒め合わせることによって、ゴーヤーの猛々しい苦味は希釈される。それどころか、個性の強いゴーヤーが素材の和の中で生かされ、それぞれの色彩と旨味が輝きを増し、全体として見事な一品に仕上がるのである。さらには、大豆のたんぱく質、ゴーヤーのビタミン、豚肉のビタミンB1もいっしょにとれて、栄養価もグンとアップする。
 つまりはこういう構図がチャンプルー精神というわけだが、素晴らしいのはみんなを和の中に入れ、個性を生かし合っていくという点だ。」(仲村清司著『沖縄人解体真書ザ・ウチナーンチュ』P.31)



 実は沖縄には神代の昔から、チャンプルー精神があったそうだ。
 沖縄には、「黒潮が運んでくれる海からの贈り物」という意味の「ユイムン(寄物)」という言葉が古くからある。琉球の島々には黒潮に乗って穀物の種子や木の実などのめずらしい漂流物がたくさん流れ着いた。沖縄の人々は、これらの海からの贈り物を神の恵みとして拾い上げて大切に扱い、畑に植えたり生活に役立つように巧みに取り入れていったそうである。
 このようにチャンプルー精神は、今に始まったことではなく、沖縄の位置する自然や環境が神代の昔から育んだものだったんですね。

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『すべての気質はテーゲーに通ず』と言うくらいにテーゲー(大概・程々)はウチナーンチュの性格の根幹をなしており、他のナンクル精神・沖縄タイム・楽天主義などもこのテーゲーから派生しているそうである。



このテーゲーとは、
「笑築過激団の座長・玉城満氏は、『テーゲーは沖縄社会における軟骨である』といった。骨と骨とがじかに当たってギスギスしない役目を軟骨が果たしているように、狭い島社会がギスギスしないようウチナーンチュは、いいあんばいに生きるためのテーゲーの心を編み出したのだと。
 まことにその通りだと思う。つまり、テーゲーはひとつの処世術でもあり、人々が心にゆとりをもってのびのびと生きるための極意でもあるのだ。」(仲村清司著『沖縄人解体真書ザ・ウチナーンチュ』P.15)



因みに、鹿児島では、このテーゲーとほぼ同義語としてテゲ(大概)という考え方があり、「将たる者は、下の者にテゲにいっておく」というように使われ、「大将たるものは作戦の概略を指示するのみとし、細部は部下に任せるべきである」と考えられたのである。その例が西郷隆盛や東郷平八郎だったそうだ。
だから、沖縄のテーゲー主義も、なにか含蓄が深いとも言えるのである。

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